今回、すごくナイーヴなご質問を「ボイトレ質問箱」に頂きました。


「自分に人前で歌う資格があるのかどうか?」

と言うお悩みです。

私も独身時代、自分の事が大嫌いでした。

同じように悩み過ぎてノイローゼみたいになった事があります。
なので、この様に悩まれる方の気持ちはものすごくよく分かります。

この悩みの裏側には、こんな心理的障害があるのかなと思います。


「私の歌唱力はまだまだだから人に聞かせるべきではない」

「人格者でも何でもないのに、歌で何を伝えたらいいの?」

「歌を通して分け与えられるエネルギーなんて、私には余っていない」

この話をする時、キーポイントとなる概念があります。
それは鶏と卵の話です。

卵から鶏は羽化するんだけど、その卵は鶏が産んでいる。
で、結局どっちが先なのよ?

って言うアレです。


この悩みはまさに鶏と卵の話に通じていますよね。

歌唱力がないという理由で、人前で歌うのを先延ばしにするなら恐らく披露する機会は永遠に来ないでしょう。


何故なら、自分の歌に納得できる瞬間なんてほぼ皆無に近いからです。


これは理由が”歌唱力”に限らず、

“人格者じゃないから”とか、

“エネルギーないから”という理由でも当てはまります。

歌う時、今あなたにどの程度の歌唱力や、人生経験や、分け与えられるエネルギーがあるのか?

という”スペック”は、あまり関係ありません。

なぜなら、これらスペックは真剣に聞き手に良い歌を届けよう!と、あなたが勇気を持って行動し始めた時に後から付いてくるものだからです。

聖書の中で、ある例え話があるのでご紹介します。

『ある主人の元で従事する奴隷は、主人から預かった5タラントン(当時の通貨)を与えられ、働いてそれを倍にしました。

またある奴隷は2タラントンをもらい、彼も働いて倍に増やしました。

もう一人の奴隷はもらった1タラントンを、無くすことを恐れて地中に埋め、まったくそれを活かすことをしませんでした。


自分が受けたものを自分なりに活用した奴隷を主人は褒めますが、怖れのあまり地中に埋めて、活かすことをしなかった奴隷に主人は怒ります。』


この例え話を用いて、聖書はこのように語ります。

「持っている人は皆、さらに与えられて満ちあふれます。

しかし持っていない人は、持っているものまで取り上げられます」(マタイ25:26)

ここで言うタラントンとは当時のお金の単位でありますが、これは現在使われている”タレント”の語源であり、個々人に与えられた才能や素質と言った意味です。

自分に与えられた素質を有益に用いなかった者は、その素質さえも埋もれさせてしまうと言う事を、この聖句は教えてくれています。

イエス様は、人が皆全て同じ方法でなすべき事をし、同じ成果を上げるよう期待しているわけではありません。

人は皆、「各自の能力に応じて」働くべきという事を、イエスは弟子達に教えます。


「私にはこれがないから、あれがないから……」と出来ない理由を探し出し、既に与えられた素質を活かすべく行動しないなら、あなたの人生はいつまでも華やぐ事がありません。


それと連動して、あなたの隣人や、あなたのいる社会や世界が、喜びに溢れることは決してないでしょう。


最後に、両手のないクリスチャンシンガーをご紹介して終わりたいと思います。

彼女は言います。

「私に両手がなくて良かった。だってこの姿を通して、神様がどれ程私に良くして下さっているか、証する事が出来るんだから。」


https://youtu.be/4N1qf9WU0LE


ないものではなく、あるものに目を向け、それを如何に活かしていくのか?

ここに焦点を当て、自分のできる最善をどんどん行動に移していきましょう!

行動しないのが一番ダメです。

エネルギーがよどんで沼みたいに心が腐敗していきます。


という事で、今日は以上です!

またメッセージしますね!

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